【わたしの苗字博物館(ミョージアム)】一位佐藤さん その1

もう一冊本を出そうと思う。

幻冬舎ゴールドオンラインとYahooに連載の家系図話が評判いいらしく

今度は苗字の話で連載が決まった

上位20苗字の解説をする予定なのだが

過去の苗字本や巷の苗字サイトとは違った内容にする

一記事2000文字以上

ってことは10苗字で20000文字

本になるじゃん

こんな感じで見本書いてる↓

自分の苗字はどこから来た?どうやって調べる?
ここでは、家系図作成代行センター(株)の代表であり「わたしの家系図物語(ヒストリエ)」(時事通信出版 2019/3/26)の著者渡辺宗貴(わたなべむねたか)とともに苗字の調べ方について学びましょう。
実際に多い苗字から順に例にして、全く知識ゼロの状態から自然に少しずつ苗字の調査ノウハウと知識を学んでいきます。

①イントロダクション

全国の佐藤家の多くは第38代天智天皇の重臣藤原鎌足(614-69)の流れをくむ武家藤原氏の子孫

②起源

全国の佐藤家は第38代天智天皇の重臣藤原鎌足(614-69)の流れをくむ武家藤原氏の子孫といわれ、藤原公清が京の御所の左側の門を警備する左衛門尉任じられたことを記念して、左衛門尉の「左」と藤原の「藤」を組み合わせて「左藤」と名乗り、後に人名なので人偏を加えて佐藤に改めたといわれています。

佐藤公清の嫡流は東北で大いに栄え、なかでも福島県からは源平合戦(治承の内乱。1180-85)のころのころ、源義経に仕えて忠勤を励んだ佐藤継信・忠信兄弟が出ました。

東北に住む佐藤氏で源氏車の家紋を使っている家は、この兄弟の子孫か、その一族の末裔といわれています。

③分布

都道府県件数 順位
全国 359098 1
北海道 35043 1
青森県 8667 2
岩手県 15771 1
宮城県 28414 1
秋田県 24070 1
山形県 21690 1
福島県 24601 1
茨城県 8101 2
栃木県 6126 3
群馬県 6301 3
埼玉県 15536 3
千葉県 12877 3
東京都 22233 2
神奈川県21656 2
新潟県 18697 1
富山県 666 58
石川県 629 60
福井県 694 31
山梨県 2588 5
長野県 5679 6
岐阜県 3769 11
静岡県 9009 6
愛知県 11754 7
三重県 2596 11
滋賀県 642 62
京都府 2016 25
大阪府 5225 12
兵庫県 3490 29
奈良県 784 58
和歌山県447 92
鳥取県 375 61
島根県 1467 11
岡山県 4248 4
広島県 4426 6
山口県 1034 49
徳島県 1963 1
香川県 1361 13
愛媛県 827 76
高知県 263 166
福岡県 5156 8
佐賀県 650 40
長崎県 1836 18
熊本県 2542 13
大分県 9291 1
宮崎県 2997 5
鹿児島県775 79
沖縄県 109

やはり今も佐藤姓は東北に多いです。東北6県の内青森県を除く5県で1位の苗字です。

ちなみに青森で1位の苗字は工藤(全国17位)です。
ここでちょっと佐藤姓から離れ、、「ある県に」「なぜ」その苗字が多いのかという、苗字分布の見本として工藤姓についても見てみましょう。

全国で17位の工藤姓はなぜ青森では一位なのか?

青森県の工藤氏は藤原不比等の嫡男武智麻呂が興した藤原南家の流れをくみます。
藤原南家は平安時代の初期には仲麻呂らが権力を得て、朝廷の中枢に君臨しましたが、陰謀などによって権力の座から追われ、武士化への道を歩む者が出ました。それが藤原為憲(ためのり)です。為憲は天慶3年(940)関東で反乱を起こした平将門を討伐して、大いに武名を高めました。その恩賞として木工助(もくのすけ)に任官されます。木工助とは宮内省の宮廷造営職の次官です。為憲はこれを名誉とし、木工助の「工」と藤原の「藤」を組み合わせて工藤と名乗りました。これが工藤氏の始まりです。
工藤為憲は伊豆国(静岡県伊豆半島)を本拠地とし、一族からは伊東・伊藤・入江・曽我・二階堂氏などが分立し、駿河国(静岡県)に移った一族は駿河工藤、奥州(東北)へ下向した系統は奥州工藤と称し、それぞれ大いに栄えました。奥州工藤氏からは江戸時代(1603-1867)、弘前藩(青森県弘前市)津軽氏の家臣となった家も多々出ました。そのため青森県では最も多い苗字となっています。

もう一つ

「ある県に」「なぜ」その苗字が多いのか。

今度はまた佐藤姓に戻って考えてみます。


佐藤姓のルーツ藤原氏は東北から栃木にかけてを本拠地としていました。そのため西日本にはさほど佐藤姓は多くない。


その中でちょっと大分を見てみましょう。

大分県 9291件 1位

これは鎌倉時代、幕府の御家人(家臣)となった佐藤氏が豊後(大分県)に領地を与えられ、地頭(領主)として下向したことに由来し、その子孫が繁栄したためと考えられいます。

いやぁ~。苗字って…面白いですね~^^