【家系図作成代行センター(株)ニュースレター】かわら版 2012年11月号

★代表行政書士 渡辺宗貴(わたなべむねたか)より

先月(10月)末はフミ(3歳娘、超可愛い❤)とシュウコちゃん(36歳妻、妊婦さん)とタマ両親で和歌山に行っておりました。仕事じゃなくて遊びの旅行です。シュウコちゃんが安定期の内に旅行にということで行ってきました。

和歌山はあったかかったです。北海道から見ると夏でした。和歌山はパンダがいるんですね。思ったよりたくさんいてびっくりしました。市内にはいかず白浜町近辺で3泊か4泊したのですが柿がおいしくてお魚がおいしくてクジラもいてイルカに触れて温泉もあって良い所でした。仕事ほったらかしていったので帰ってきたら仕事山積みで大変なことになっていました…ですが、フミがずっと元気で楽しそうだったので行ってよかったです。いいところでした^^

『家系図お役立ち情報」 家系調査の基礎知識 苗字③ 苗字の基礎知識(3)

【柳田国男氏が唱えた百姓無苗説~江戸時代庶民は苗字が無かった?】
庶民が苗字をもっていなかったという説に拍車をかけたのが、民俗学者柳田国男氏の『地名の話その他』です。
同書の中で柳田氏は「村々に長百姓(おさひゃくしょう)と小百姓、若(も)しくは地主と門男(かどおとこ)との二階級があって、後者は武家の特権に対しても、又は旧門閥(もんばつ)の威厳を維持する上からも、絶対に家号を唱(とな)ふることを許されず、しかもその多くのものはとっくの昔に家号を忘却し、又は最初から家号がなくして、十数代も何村何兵衛で通って居った」といい、農民から苗字が奪われた理由については、兵農分離が考えられ、これによって村落に住んでいた武士は領主の家来になるか年貢を納める百姓になるかを迫られ、大半は苗字を奪われて農民になる道を選択したと柳田は主張しています。たしかに、室町時代の文明15(1483)年の記録に「地下人(じげじん)等、雅意に任せ名字を名乗るの由(よし)、先代未聞の次第也」という記述があることから、中世の村落において農民の苗字使用が禁止されていたことは事実です。

【洞(ほら)富雄氏~実は農民も苗字をもっていた】
しかし、柳田氏がいう「最初から家号がなくして」という農民の数はほんの少数であったというのが現在の通説であり、「とっくの昔に家号を忘却」した農民もわずかだったという説が唱えられています。農民の大半が古くからの苗字を持っていたため、それを使わせないために領主は厳しく監視していたというのが正しい答えでしょう。柳田の百姓無苗説に反論したのが早稲田大学教授だった洞(ほら)富雄氏です。洞氏は明治26年に故郷である長野県東筑摩郡の菩提寺で、天明3(1783)年と文化13(1816)年の同寺本堂再建のさいの寄進帳を見ました。するとそこに署名している1000人以上の農民の全員が苗字と名前を記していたのです。また文政13(1830)年に作成された長野県南安曇郡の「富士講中名簿(信仰のため富士登頂を勧める富士山御(お)師(し)がまとめた信者名簿)」には2345人の農民が列記されていますが、その中で苗字を名乗っていない者はわずか16人だけでした。さらに弘化3(1846)年の氷川神社(東京都中野区江古田の氏神)の「造営奉納取立帳」にも寄進した農民全員の苗字が記されていたのです。これらの古文書に驚いた洞氏は昭和27年に「江戸時代の庶民は果たして苗字を持たなかったのか」という論文を発表し、歴史学界に問題提起しました。その論文の中で洞氏は「同族団の強固な結合を基盤としていた農村社会では、百姓がみずからの苗字を忘却してしまうなど、ありえないことだ」と主張し、後に別の文の中でより具体的に「(柳田氏の紹介する明治新姓騒動は)それが全般的事象であったとは思えない。とくに家柄に誇りをもつ富裕な高持百姓を中心とする同族団的結合を基盤としていた農村社会において、主家はもとより、その分家の家々が苗字を忘失してしまうというようなことが、一般的事象として存在しえたとは、とうてい考えられない」と唱えました。洞氏も無苗の者が多くいたと認めたのは都市部に住む町人層だけです。町人について洞は「もっとも、都市の町人の場合は別だったと思う。町人は、農村の同族団を離れて町に出てきたから、代を重ねたものが多く、そこには、ひそかながらも苗字を名乗って誇りあう環境がなかったので、公称が禁ぜられていたまま、自家の苗字を忘れはててしまった者も、少なくなかったことであろう」と苗字の忘失の可能性を認めています

※当社発行「家系図作成マニュアル」知識編より抜粋

★家系図作成代行センター(株)近況…子供とかスタッフとかスタッフの子供とか

会社にはウチ(渡辺)の子(3歳娘)含めスタッフの子供たち5名がちょろちょろしています。たま~にスタッフさんやそのお子さんと焼肉行ったり釣り行ったり。全然子供好きではなかったのですが(嫌いではないですが苦手というか扱いがわからなかったというか…)、フミが生まれてから結構子供好きになりました。家系図の仕事やってなければ幼稚園の先生とかやってみたかった気もちょっとします。あんまりお手本にになる大人でもないのであんまりよくないのかな?全然関係ないですがラルクバンド始めました。

以前はチェッカーズバンドやっていたのですがおんなじメンバーでラルクになりました。家系図と全然関係ないですね…。