【家系図作成代行センター(株)ニュースレター】かわら版 2013年12月号 【家系図お役立ち情報】

☆毎日更新のネタがないので昔のニュースレターをただただ張ってみる!

★代表行政書士 渡辺宗貴(わたなべむねたか)より
前回発行(2013年2月)から10か月も空いてしまいました。その間3歳娘は4歳娘になり、0歳娘は0歳娘のままですが、36歳くらい妻は37歳くらい妻になり、39歳僕は40歳僕になりました。

チヨ(当時0歳)初出社

家系図作成代行センター(株)【社是】※会社や結社の経営上の方針・主張→まだない。まだよくわかんない。


家系図作成代行センター(株)【社訓】※その会社で、社員が守るべき基本的な指針として定めてあること↓


1、毎月第一週目の水曜あるいは木曜午前はボーリング・バッティングセンター・ビリヤード等のなんかで遊ぶ(自由参加)。※ただし奇数月はカラオケとする。


2、毎月第二週か三週の火曜日は女性スタッフ及びタマ(副社長)全員でランチに行く(強制参加)。


3、毎月第四週水曜の夜は飲み会かお食事会とする(自由参加。なるべく子連れで来ること)。
その他。釣りとか旅行とか遊園地とか行きたいときは随時申し出ること。特にお子様達の要望には可能な限り…いや、必ず応えること。その代わりガキ共お子様達は社長を様付で呼び崇め奉え大人になったら倍返し…ってか10倍返し。※100倍返しも可。

『家系図お役立ち情報」 家系調査の基礎知識 家紋の基礎知識①

【家紋の起源】
家紋は平安後期(一一〇〇年以降頃)に公家の牛車の紋所として生まれた。それが武士にも普及し、武士は戦場で旗印や幕に家紋を描き、自己をアピールしたり、敵味方を区別するのに利用した。さらに江戸時代になると、着物にも家紋を描くようになり、庶民も広く用いるようになった。

【家紋はどれくらいあるか】
素材の原型は約三五〇種類。それが変化して現在では約二万種類以上に増えた。その中には明治以後に創作された新紋も含まれる。家紋は原則として父から子に相続され、分家の際にだけ形を変えた。しかし、その場合も本家の家紋に丸などの外郭を加え、ごく僅かな変化にとどめられた。原型を尊重する配慮がなされたのである。明治以後の新紋はそのルールを無視した家紋である。一見して複雑なものが多く、夫婦の実家の家紋を合体させることが多かった。またそれまでにない素材(カエルや琵琶など)を用いたものもあった。

【苗字との関係】
家紋は「苗字を絵で描いたもの」と言われる。それは家紋がルーツを選択する決め手になるからである。たとえば佐藤氏は源氏車、佐々木氏は目結(めゆい)、渡辺氏は渡辺星(三つ星に一文字)を多用していて、苗字が違ってもこれらの家紋を使用している家は、何らか関係があると推測される。
また田中さんのように全国各地の田中地名から発祥し、多様なルーツを持つ苗字の場合は、家紋がルーツを決める重要な鍵となる。これは同姓で同紋は同流という家紋の原則を利用したルーツ推理法である。

例)田中さんの場合
◆四つ目結・五三桐・菊・二つ引きは宇多源氏  
◆左三つ巴・七九桐は橘姓
◆梶の葉・六菱・五三桐・右三巴は桓武平氏   
◆横木瓜・左三つ巴は藤原北家
◆釘抜き・片喰・鎧蝶・石畳は清和源氏     
◆梅鉢は村上源氏
◆五七桐・鳳凰丸は大江姓の可能性が高い。

五三桐は宇多源氏と桓武平氏、巴は橘姓と桓武平氏・藤原北家が利用しているので、家紋だけでは決め難い。ご先祖の出身地などを考慮してさらに調べなければならない。また右記以外の家紋を使用している場合は、ほかのルーツから発祥した可能性と、これらのルーツから出たが何らかの理由で家紋を変えた可能性を念頭に置いて、調査を続ける。家紋は苗字と同じくらいルーツを如実に物語るものなのだ。

※当社発行「家系図作成マニュアル」知識編より抜粋

★家系図作成代行センター(株)近況…子供とかスタッフとかスタッフの子供とか
会社近況:会社にはウチ(渡辺)の子(4歳娘と0歳娘)含めスタッフの子供たち6名がちょろちょろしています。

12月は社員旅行に旭川行ってきました。旭川は北海道の真ん中くらい。「北の国から」で有名な富良野のわりと近くです。旭川市科学館サイパル→一泊→旭山動物園→札幌→新札幌サンピアザ水族館と廻ってきましたが、子供たちはしゃぎすぎて初日で燃え尽きていました。

燃え尽きたフミ(当時4歳)とシュウコちゃん