毎日更新のネタがないので昔のニュースレターをただただ張ってみる!
★代表行政書士 渡辺宗貴(わたなべむねたか)より
お休みの日はフミ(3歳娘)と二人でお出かけしています。※シュウコちゃん(35歳妻)はつわりが少々ありあまり外出できず。こないだは北海道岩見沢の三井グリーンランドという遊園地に行ってきました。ものすごく大きい観覧車がある(後から調べたら一番てっぺんで100Mあるそう)ので一緒にのってみました。最初は二人で楽しくはしゃいでいたのですが、途中からあまりの高さに二人とも恐ろしくなってしまい…。てっぺんでは二人でガタガタ震えながら抱き合っていました。その他の平和な乗り物は楽しく遊べました。ちなみに岩見沢市の歴史をみると「1883年(明治16年)移住士族取扱規則の公布により、山口県・鳥取県の他10県から士族277戸、1503人の集団移住により、初めて開拓の鍬は打ち下ろされました。」とあります。ご先祖様の住んだ地を調べることは家系調査で最重要と思っています。その暮らしぶりや時には職業がわかることもあります。なによりおもしろいです。
『家系図お役立ち情報」 家系調査の基礎知識 苗字② 苗字の基礎知識(2)
古代人の苗字は氏だった
古代人には名前しかなく現在の苗字に相当するものはありませんでしたが、4世紀以降、大和朝廷が成立すると古代人は「氏(うじ)」を名乗るようになりました。氏は朝廷に直接奉仕する氏族や、地方を支配する氏族に対して与えられ、同一血族の氏族には同じ氏を与え、血筋を異にする氏族には別々の氏を与えるというのが従来の学説でしたが、現在では非血縁の関係であっても地縁によって集団を作っている場合には同一の氏が与えられたことが判明しています。また、姓(かばね)とは朝廷が貴族に授けた家格のことで、骨を意味する「かばね」に由来する言葉だと考えられています。その原初は「彦(男性の尊称)」「媛(ひめ)(女性の尊称)」「梟(たけ)師(る)(地方豪族の族長の尊称)」「猛(たける)」など古代人名に付けられた尊称であり、後に氏が広まるにつれ、氏の家格を示すものとして氏の後ろに付けました。
日本の四大姓
我が国の歴史をみると古代においては物部氏(朝臣)や蘇我氏(臣)、大伴氏(宿禰)、紀氏(朝臣)などが国政を牛耳り、彼らの衰退とともに藤原氏(朝臣)が登場し、次いで橘氏(朝臣)が政権を担いましたが、すぐ藤原氏が奪い返し、平安時代(794-1185)末期になると武家の平氏(朝臣)と源氏(朝臣)が覇を争い鎌倉幕府が成立しました。日本には『新撰姓氏録』を見ても分かる通り、実に多彩な氏と姓がありましたが、中世以降になると人々は自家のルーツを源氏・平家・藤原氏・橘氏に結びつけるようになり、この四氏は日本の四大姓(源平藤橘)と呼ばれました。
名字から苗字へ
武士はその多くが名田を名字としましたが、室町時代(1336-1573)以降になると有力な豪族の名字を真似る者が現れました。他家の名字を勝ってに名乗ったり、系図を誤魔化すことを仮冒といいます。たとえば足利氏の中にも名田に由来する足利氏と仮冒した足利氏が混在するようになり、名字(名田に由来する字)という言葉では全体をくくれなくなりました。その問題を解消するために生まれたのが苗字です。苗字とは「苗の根を同じくする」「血を同じくする」という意味です。現在の多彩な由来を持つ「みょうじ」を総称するには苗字のほうが最適です。ちなみに文部省は「名字」、法務省は「氏」を使用しています。
『戸籍以上の家系調査方法』 基礎調査資料収集 『壬申(じんしん)戸籍』
壬申(じんしん)戸籍
壬申戸籍とは明治4年4月に施行された戸籍法により、翌年の2月1日から全国的に作製された近代最初の戸籍です。明治5年の十干(じっかん)十二支が「壬申(みずのえさる)」だったことから一般には「壬申(じんしん)戸籍」と呼ばれています。壬申戸籍はその後の戸籍とは記載内容が大きく異なり、本籍地が持地か借地か、家屋が自宅か借家か、職業、死因、身分族称、氏神、菩提寺などが記されており、家系調査には大変有益な公文書ではありますが、部落開放同盟の抗議により、昭和43年に閲覧が全面禁止となりました。その際、各役所は壬申戸籍を箱に詰め、所轄の法務局に運び込み、現在では法務局の倉庫に保管されています。しかし、現在に至るまで壬申戸籍の発見が後を絶ちません。そもそも壬申戸籍は江戸時代、その土地で庄屋や名主などをしていた者が戸長に任命され、自宅を役宅としながら作製した宗門改帳の形態を色濃く残した公文書です。庄屋などは江戸時代の習慣から、手控えとしての副本を同時に作製しました。戸長宅にあったものは役場に引き継がれ、法務局で厳重保管されていますが、旧戸長宅に残された手控えの副本は様々なルートで意外なところに保管されているのです。たとえば市町村史編纂の過程で発見されたものは教員委員会か、都道府県立の公文書館などに渡り、現在でも旧戸長の子孫宅に残されていることもあります。また役所には「旧名改名記」という台帳が残されていることがあります。これは武士など通称と諱(いみな)を持っていた者は、どちらかしか壬申戸籍に記載されませんでした。この「旧名改名記」には廃された名前が記されています。
※当社発行「家系図作成マニュアル」知識編より抜粋
★家系図作成代行センター(株)近況…子供とかスタッフとかスタッフの子供とか
会社にはウチ(渡辺)の子(3歳娘)含めスタッフの子供たちがちょろちょろしています。こないだスタッフのお子さんを連れて近所の釣り堀に行ってきました。スタッフさんは来なくてお子さんだけ預かって行ってきました。人のお子さんを預かるのはさすがにやや緊張するが、まぁけがさせないきゃいいか(指に針刺さってけがさせてしまったが)。楽しそうでしたね。釣った魚いっぱい食べて、帰りはカレーを食べて帰ってきました。子供が楽しく遊んでいたりたくさん食べているのは見ててなんか嬉しくなりますですね。全然関係ない話ですが、こないだシュウコちゃん(35歳妻、妊婦さん)は車(シエンタ、中古)を買ったようです。僕は行政書士でありながら家系図以外の行政書士業務が何一つできないので、友人の行政書士さんに車庫証明をやってもらおうかと思っています。そういえば自分の会社も友人の行政書士さんに作ってもらいました。家系図以外の行政書士業務(遺言・相続・内容証明・会社設立とか車庫証明とか)もご遠慮なくご相談ください!僕はできませんが誰かできる行政書士さんご紹介いたします^^