【家系図作成代行センター(株)ニュースレター】かわら版 2017年11月号 【家系図作成にそこそこ関係ある旅行記】

岩手県→愛媛県 ~家系図作成にそこそこ関係ある旅行記~

【プロローグ】
家系図の小説を書いてます。結構本気で書いてます。
出版は当然ですが、映画化まで見越しています。
我ながら痛い子です。
三部構成で、第二部までほぼできてます。
下記は目次とほんの一部見本です。

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序章 街の家系図屋さん:家系図作成でよくある相談
【第一部】:1000年さかのぼる家系調査の全体像
【第二部】:江戸時代に武士だった場合の家系調査方法
【第三部】:江戸時代に武士ではなく庶民だった場合の家系調査方法
終章 優しくなりたい
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「『庶腹』ってのは本妻ではない女性が産んだ子供のことだ。側室…ようは妾の子供だな。その前の一文『松平陸奥守家来遊馬野家』な。松平ってのは伊達氏のこと。伊達氏は江戸時代、松平姓を名乗っていたんだ。伊達氏の家来だから、要は仙台藩士遊馬野家ってことだ。ってことはな、遊馬野直時は『仙台藩士遊馬野家の本妻以外の女性が産んだ子供』ってことだ」
 なるほど!
「ちなみに、陸奥守ってのは大名が朝廷から授けられた官職名だ。陸奥守の他に中将・薩摩守なんかがある」
当たり前だが、知識の深さが僕とは桁違いだ。
「なんでここに、『仙台藩士遊馬野家』と書かれず、『松平陸奥守家来遊馬野家』と書いてあるかというとな…」
 夢中で聞いていたしずちゃんが、しゅたっとまっすぐ手を挙げる。なんとなくこの子が小学生の頃の教室の風景が浮かぶ。勉強できそうだな…当たり前か。しずちゃんだもんな。


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「チヨちゃんおいで。」
 正面から両手を脇に入れて、チヨを受け取る。ゆっくり目が開いた。ちっちゃい子は黒目が多い。
「ありがとうございます。ありがとうね」お客様がシュウコちゃんとフミに言う。
「こんにちわ。いらっしゃいませ。子供いてうるさいけどすいません」
「5歳」フミがきいてないのに答える。手がもみじになってる。


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◆現在から150~200年前までは戸籍調査
「まず現在から150~200年前まで。ここで使う調査資料は戸籍です。現在日本には戸籍制度というものがありますが、日本で最初に戸籍ができたのが明治5年です。」
「明治5年…っていうと江戸時代が終わって5年後ってこと?」
「そうですね。おおよそ140年ほど前ですね。この戸籍には明治5年に生きていたご先祖が載っています。江戸時代に生まれた人たちです。ですが、この明治5年の戸籍…壬申戸籍と言いますが、残念ながら壬申戸籍は現在では取得・閲覧することができません。」
「ん?要は見れないってこと?」
「はい。残念ですが。でもですね、その次にできた明治19年戸籍というものがあります。この戸籍が現在取得することのできる一番古い戸籍です。この戸籍にも江戸時代にお生まれになった方や、そのお父様…場合によってはおじい様まで記載されていますので、この明治19年式戸籍を取ることによって、江戸末期や明治初期…おおよそ150~200年前までのご先祖様がわかります。」
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 フミが窓にぴったりくっつき源さんに手を振る。源さんが窓越しにハイタッチをして、ウチのかあちゃんに会釈する。かあちゃんがにっこり笑ってコツコツ窓をたたく。留め具を外し窓を開ける。
「なした」
「これお客さんにね。割れないように新聞でくるんであるから」かあちゃんが小さい声で言いながら僕に買い物袋を渡し、窓から首を伸ばし源さんにあいさつする。「こんにちわ。いらっしゃい。ゆっくりしていってね」
「はい。お邪魔しています」源さんが両手をおなかあたりに添えてぺこりとお辞儀する。きれいなお辞儀だ。ピアノの発表会仕込みかな。
「チヨちゃんも連れてきなさいね。後で」かあちゃんがフミの手を取り公園に向かう。後ろ向きでフミが引きずられてる。信号気をつけてな。
 なんだこれ?…卵か。家中いろいろ探した結果なんだろうな。
「源さんこれ。かあちゃんから。卵です」
「あっ。えと…ありがとうございます」戸惑いながらも笑顔で受け取ってくれる。
 こういうかぁちゃんなんだ。昔から。子供のころから友達が来たら必ず何か出してくれた。大人になったらそれはもういいんじゃねぇの?、と思う。うぜぇよ、とも思う。かぁちゃんの子供で良かったな、とも思う。
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「ええと。お母様の旧姓は?」
「ちょっと変わってて、ユマノです。」
 お?ユマノ?ちょっと気になる苗字だ。「ユマノさん!?字はどんな字ですか?」
「うん。遊ぶに馬って書いて野原の野」
「わかりました。遊馬野さんですね」 ホワイトボードに遊馬野と書いた。
「ああ。そうです」
「お母様のご先祖様の出身は?…仙台藩。宮城じゃないですか?」
「!?っ。…なんでわかるんですか?そう。ご先祖様は宮城だって言ってた。」
 やった。びっくりしている。それもちょっと尊敬のまなざしが混じっている。
「…あれ?どしたの?何か変わってますか?」
 しまった。思いっきり顔に出たか。
 苗字によって調べやすいとかさかのぼりやすいとかは確かにある。ただそれを良い事悪い事と区別する気はもちろんない。でもやっぱり顔に出ちゃったか。
「ああ。すいません。ちょっとニヤッとしてしまいました…。」
「…はぁ。なんか面白い事でもあります?」
 もうちょっと驚かしてみたい。当たるかな?「すいません。面白いってわけじゃないんですが、苗字でいろいろわかることもありまして。…ええと、お母様は今は札幌ですよね?」
「はい。一緒に住んでるけど」
「ずっと札幌でしょうかね?…子供の時から」
「そう…ですね。うん。札幌だ。子供の時は西区だって言ってた」
 札幌西区…。ますます気になる。「その前は…例えばお母様のお父様とかおじい様は伊達市じゃないですか?」
「伊達?って…どこだっけ?」
 北海道伊達市は地図上の下の方。登別と室蘭の間くらいだ。
「ちょっとかあさんにメールしてみる。あぁ…電話してみるかな。ちょうどお昼休み位だと思う」
 さっと携帯を取り出しちょこっといじり早速耳に当てる。携帯を取り出してから耳に当てるまでがほぼ一瞬だ。短縮ダイヤルかな?発着信の履歴にすぐあるのかな?きっと仲のいい親子なんじゃないかな?なんとなくちょっとほっとする。
 明るくふるまっているがこの子はつい最近お父さんが亡くなっている…。お母様からすれば旦那様が亡くなっているわけか。
「かあさん?アタシ。うん。今家系図の司法書士さんのトコ。」
 …行政書士だよ。まあなんでもいいや。
「うん。ホントに来た。…ああ、別に悪い人じゃなさそうだよ。」
 こっちを見てニッコリする。お母様にはここに来ること話してきたのか。
 そりゃちょっと心配だろうな。自分の若い娘さんが司法書士だか行政書士だか詐欺師だか良くわからないところに1人で行くのは。悪い人ではない…と思うよ。
「ん。わかった。ん?カレーでいいよ。おイモいっぱいね。いやメインクーンじゃないってメイクイーンだって!んじゃね」 しずちゃんが電話を切る。
カレーかぁ。いいなぁ。ウチもカレーにしようかな。猫は入れないけどな。
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『又の名を長十郎』とあるのは、直房さんの実名が直房で通称が長十郎ということだろう。再度通称と実名について説明する。
「武士が2つの名前を持っていたことは先日お伝えいたしましたが、いくつか例を出しますね」
 織田信長の通称は三郎。実名は信長。
 坂本龍馬の通称は龍馬。実名は直柔(なおなり)。
 黒田清隆の通称は了介。実名は清隆。
 渡辺芙美乃と千代乃の通称はフミチヨ。実名は芙美乃と千代乃。
「へー。信長は三郎っていうんだ」
「そうなんですよ。普段は通称を名乗るので信長は普段は三郎を名乗っていたと思います。直房さんも普段は長十郎と名乗ってたんでしょうね」
 次に『伊達邦成に仕えて鷹匠を務める』について。伊達邦成は1841生まれの亘理領主伊達氏の14代目当主、当主ってのは要は殿様だ。鷹匠とは、鷹狩り用の鷹を飼いならしている者。
 いつも思うが。鷹匠…カッコいいなぁ。
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 腕を組み天井を見上げ、さらに思考を進める。この『亘理世臣家譜略記』は、その後の明治2年(1872年)…おおよそ150年程前に亘理家臣団が伊達市へ入植した後に作られている。
 …と、いうことは宮城系図よりも50年程新しく作られているわけだ。ってことは…。
「あったよ」
 僕の心が僕とおしゃべりしている間に空白が埋まったようだ。「私心はおしゃべりだわ」と唄っていたのは工藤静香さんだったな。「MUGO・ん…色っぽい 」ってタイトルが秀逸。良かったな。昭和は。
 昭和の人は大正を思い出し「良かったなぁ…大正は」とか言ってたのかなぁ?歴史は繰り返すのかなぁ?3000年前のエジプトの壁画にも「近頃の若い者は…」みたいなこと書いてあったらしいしな。
 あの頃の未来に僕らは立っているのかなぁ?
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「でもね、実はうちは両親とも公務員でさ。釧路で同じ職場で働いてたのね。で、ですね。年度ごとに名簿があったから見ていったら途中で母の名が無くなっていてね。…要は父と結婚して退職したんだね。で、もうちょっと見ていったら父に役職がついててね。」
 見つけたのは対した資料ではない。別にご先祖様の暮らしぶりがわかったわけでもないし、さかのぼる手がかりが見つかったわけではない。でも、少しだけどイメージできた。父と母の生きた世界が。 …いや、生きた世界ってのはおおげさか。まだ生きていて一緒に住んでいるし。
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【岩手県1日目】
急遽思い立ち1人盛岡へ。『このミステリーがすごい』受賞をめざし、書いている小説の舞台が岩手と愛媛。
23時59分、苫小牧からフェリー。初フェリーに浮かれ無駄に特等室。


翌日、八戸から新幹線で盛岡へ。お昼は盛岡冷麺。盛岡冷麺の糖質は以外に高いのだが、やむ得ず完食。なまらうめ~(^-^)。
石川啄木記念館や近隣のお寺、

義経伝説の神社を巡る。夜の神社なまらこえ~(@_@)

【岩手2日目・愛媛1日目】
子供のころ。父母含め30代40代はすごく大人に見えた。

小説のための取材旅行2日目。
岩手南部の中尊寺金色堂、世界遺産毛越寺(もうつうじ)、NHK大河ドラマのロケ地藤原の郷、に行かねばならなかったのだが。『ゾウにのろう!』の看板に魅かれ、つい岩手サファリパークへ。


中尊寺金色堂他は、時間切れで取材できず。
盛岡から仙台。大阪伊丹経由で愛媛へ。
宿泊地を決めてなかった愛媛松山でネカフェに泊まる。この日44歳の誕生日。一人ゾウに乗りネカフェに泊まる大人になるとは夢にも思わなかった。

【愛媛2日目】
愛媛今治。
フミチヨのお土産にバリィさんのぬいぐるみ。

しまなみ海道を通り、大三島『大山祇(おおやまづみ)神社』へ。
途中『海の釣り堀!大三島フィッシングパーク』なる、超魅力的な施設があるが、ここまで来て一秒たりとも無駄にできない。泣く泣く見学のみ(入場料200円)。
『大山祇神社』は、1400年以上前に、推古天皇が作ったらしい。800年以上前の、義経や頼朝の鎧がある。


樹齢2000年以上の木も、ゴロゴロある。

『千と千尋の神隠し』の道後温泉へ。


家系図小説の方は、出版社2社から問い合わせあり。
まぁこれは当たり前だ。ウチが今まで出版してないのが、おかしいのだ。実用書で出すか、文芸書で出すかだけだ。
実用書はいつでも出せる。文芸書は甘くないよな。甘くないから、人生面白いんだよな。

【愛媛3日目・帰郷】
松山城を見学。お城かっこいいなー。


東京経由で帰札。東京成田で、乗り継ぎ3時間の時間があったが、空港が広すぎてうろうろして終わってしまった。

再来週には『出版社と打ち合わせのため』東京へ。
『出版社と打ち合わせのため』…なんというツイッター映えする響き。ツイッターやってないんだけどね。